【海外生活からの学び】共感を大切にする日本人 – 議論ばかりじゃ楽しくない!TPOに応じた姿勢 [異文化]

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以前も書かせて頂きましたが、ドイツ人はとにかく積極的に議論し、簡単には「Yes」と言いません。日本人のように「空気を読む」「丸く収めようとする」といったことは一切しません。

私の国際的な経験を振り返ると、これはドイツ人だけでなく他の外国人にも当てはまることかもしれないと思います。

ただ、私がこれまで様々な国籍の人たちが集まる「とても国際的な」講義や会議に参加してきた場所はいつもドイツでした。皆あえて勉強または仕事をする場所としてドイツを選んでわざわざ世界各地から集まった人たちなわけですから、自分も含めドイツ人ぽいタイプの人が多かったのかな、とも思っています。

そのため、例えば「大学の講義で、いつも他の人の意見をまずは疑問視して活発な議論に持ち込むロシア人クラスメイトがいたけれど、これはロシアのお国柄なのか」と問われたら全然そうとは言い切れないと思います。

何事も疑問視する姿勢と活発な議論はドイツのお国柄

でもドイツの場合は、私は長く住んでいて毎日様々なドイツ人と交流しているので、常に何事も疑問視する姿勢と活発な議論はドイツのお国柄と自信を持って言えます。

これがプライベートな場で、放課後や仕事後、または週末に例えばカフェやバーで仲間と喋っている場合だと、いくら意見がわかれて活発な議論が行われたとしても、結論はでない場合が多いですし、明確に1つの意見に落ち着くまたは収束する、という状況には正直あまり至りません。

プライベートの会話では日本流の方が心地良いかも

このようなプライベートな場合だと、相手の意見にすんなり同意せずに活発に議論をすることにより「皆と意見が全然違って、誰にも全く共感することができなかった。なんだか後味が悪い」という結果にならないとも言い切れません。

そのため、プライベートな場合においては必ずしも「疑問を呈する&活発な議論をする」ことがポジティブとは限らないと個人的に思うようになりました。

日本人によく見られる傾向のように、皆似たような意見や考えを持っていて、共感し合って場が丸く収まっていた方が結果的に居心地が良い、という気持ちも私は個人的によく理解できる時があります。

何に対しても慎重で、すぐには賛成せず、批判的な視線を向けるのは確かに賢いです。例えば、最もわかりやすい例で言えばこういったタイプの人は詐欺や信用するべきでない話などには非常に引っかりにくいでしょうし、自分の判断を後から誤っていたと思って後悔することも少ないと思います。

でも「共感」を大切にするような、日本人的な態度もやはりこれはこれで評価に値すると思っています。当たり前ですが、相手の言ってることに共感できた方が、異論を唱え続けなければならない時よりも会話していて単純に楽しいし、おもしろいと感じることができますよね。

共感を感じることができた方が、相手を自分に似ているタイプ、要は「仲間」だと認識しやすいと思います。特にプライベートの時間は「論理」とかよりも直感的に、そして純粋に「楽しい」「好き」と感られることの方が大事でしょうね。人間て誰しもそんなものですよね。

「異なった意見を持つ様々な人たちが活発に意見交換するのはとても有意義なこと。」このドイツ的思考法には確かに一理ありますが、それはシチュエーションによる、という条件付きかもしれないと、このことについて今回じっくり考えた時に改めて実感しました。

日独の真逆な部分

ドイツと日本、またはドイツ人と日本人には類似点も沢山あるけれど、このように「真逆」とも言える部分も時折見受けられます。

でも、以前にも書いた通り、個人的には違いや多様性をとても尊いものと考えています。「皆似ている」というのはとても不自然な状態(おそらく何かの圧力によって、または圧力が背後にあるけれど無意識のうちにそうなってしまっている状態)だと思っています。

そのためどちらが良い、悪いということでは決してありません。単純に、日本で日本人とだけ関わって生きていた頃には考えつきもしなかった、このような海外のスタンダードは私の見知をものすごく広げてくれて、私を賢くしてくれていると感じ、このような貴重な経験ができることに日々非常に感謝しています。

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